
静岡県熱海市にて、訪問介護、介護タクシーの事業を運営している河瀬さん。これまで大学病院、がん専門病院で働き、心身の不調を乗り越えて熱海で起業するまで、多くのことを経験してきたそうです。
本記事では、一度は看護師を辞めようとしたこともある河瀬さんが、大好きな海がある熱海で「今も看護師として働き続けるワケ」を聞きました。
・大学病院(4年間)
・がん専門病院(8年間)
・派遣(1年間)
・地域密着病院(病棟2年、外来1年)
・療養型病院(1年間)、開業準備
・2013年12月に開業し、今に至る

ーーまず簡単に自己紹介をお願いします。
河瀬:河瀬愛美です。新卒で大学病院に勤めたのち、がん専門病院で副師長をやっていたときに体調を崩して、その後派遣、地域密着病院などで臨床経験を積みました。
2013年に夫と熱海で開業して、今もその事業をやっています。
ーー病院時代の話も気になるところですが、まずは今どんな仕事をされているか教えてください。
河瀬:夫と一緒に「福祉限定タクシー・訪問介護事業、患者等搬送の事業」をやっています。患者さんが病院や施設へ行くときに送迎したり、療養中の方が熱海へ旅行にいらしたときのサポートをしたりする仕事です。

利用者さんははじめましての方もいますし、透析治療をしている方だと週に3回病院に行くので1か月のうち12日は関わります。開業当初から使ってくれている方もいて、もう10年のお付き合いになりますね。
ーー地域に密着して住民の健康を守られているのですね。他職種との連携もありますか?
河瀬:そうですね。自分たちだけで成り立つ仕事ではなくて…たとえば介護サービスのときはケアマネさんもいるので、チームとしてお互いに患者さんの様子や次の診療予定などの情報共有をしています。
ーー今の仕事で河瀬さんが特に嬉しかったエピソードを伺えますか?
河瀬:コロナ禍で家から2年間出ていなかった利用者さんが印象に残っています。
彼はずっと訪問診療など在宅のサービスを受けていました。長い外階段があるお宅なので、家族だけでは連れ出せず、外に出る機会がなかったんですね。
ある検査が必要で2年ぶりに病院に行くことになったんですが、事前のケアマネさんとのサービス担当者会議のときから「2年ぶりに外に出れる…」と泣いていらっしゃって…。
実際にお手伝いをした当日、車に乗った彼が外の景色を見ながら奥さんと喋っている様子を見ると、この仕事をやってて良かったなと思いました。
長い間外の温度や風の匂いも感じられていなかった中で、通院とはいえ外に出られて、涙を流して喜んでくれたのは嬉しかったですね。

ーー病院と家の間の搬送に加え、旅行に来られる方のサポートもされるのですよね。
河瀬:はい。人生最後の旅行に来られる方もいるんですが、皆さん本当に元気になって帰りますね。手を振って「また来るね」「来週また来ようかな」みたいな。
ある方は旅行の2週間後に亡くなられましたが、帰ってからずっと熱海の思い出話をされ、「自分が死んだらこういう風にしてね」と身辺整理を始められたそうです。そうした話を聞くと、私たちのサービスがあったおかげで旅行に来てもらえて、本当に良かったなと思います。
ーー河瀬さんは病棟勤務も長かったようですが、今のお仕事だからこそのやりがいはありますか?
河瀬:病棟看護師って、患者さんがお家にいる方のことはあまり見えないじゃないですか。一時的な外出・外泊があったときに送り出して迎える側なので。
だけどこの仕事だと、その間がわかるんですね。車の中で利用者さんの表情や言葉がどんどん変わってきて、お家に帰ったときには何とも言えない顔をされるんです。
また病院に送り届けるときには、出発時とは違う表情で看護師さんに「帰ってきたよ」と報告する様子を見て、私たちも「お家でこうだったようですよ」と看護師さんに伝えられる、つなぎ役になっています。
ーー逆に今のお仕事で大変なことは何でしょうか。
河瀬:熱海は階段や坂の多い町なので、階段介助が大変です。歩けない利用者さんが多いので車椅子のまま2人で上げたり、下げたり。布の担架で寝たきりの方を抱えて階段を降りることもあるし、本当に体力勝負ですね。

あとは認知症の方も多いので、接し方にはすごく気をつけています。
ーーなるほど。具体的に気をつけている点はなんでしょうか。
河瀬:「ユマニチュード」というケア技法でもいわれているんですが、目を合わせて声をかけるんです。マスクをしていても分かるような笑顔で「おはようございます」と言って、そこから始める。そうすると、普段あまり感情を表に出さない方でもニコッとしてくれます。
階段介助の際も、不安だと手すりを持ってしまうのですが、「大丈夫ですからね」と、とにかく声をかけ続ける。そうすると、「分かった」って言ってどこにも掴まらずに協力動作をしてくれるんです。

ーー続いて、元々都内で働いてらしたということで、そこから熱海へ移住するまでのお話を伺いたいです。
河瀬:新卒までさかのぼると…まず大学病院に入職しました。そこでがん患者さんと関わることが多くて「この痛みを、どうすれば少しでも緩和できるんだろう…?」と思ったことから、5年目にがん専門病院に転職しまして。30歳のときに副師長になりました。
ーー30歳、早いですね。がん専門病院はどういった環境でしたか。
河瀬:同僚に恵まれた環境で、8年も続けましたね。3年目には新人研修を担当したのですが、私自身昔は一番できない新人だったので新人ナースの気持ちがよく分かりましたし、みんなが成長していく姿を見るのが楽しかったです。
ーー興味のあるがん看護で、新人教育も楽しんでいらっしゃったと。辞められた理由を伺えますか?
河瀬:副師長になってから、業務量と背負うものが多くなり、徐々に体と心の調子を崩してしまったんです。
上司である師長さんがご懐妊されて、私に仕事がどんどん引き継がれていったんですね。それで日勤なのに帰るのが23時だったり、勤務表を作るために休みでも病院に行ったりしていました。代わりの師長も一向に来ず、不安が大きくなって…いつの間にか通勤電車に乗ると涙が出るほどになっていました。

産休に入る前の師長さんが、そんな私の状態を一番早く見抜いて「ちょっとあなた1回休みなさい」と言ってくれて、有給はたっぷりあったのでひとまず休むことに。…そうしたら今度は行けなくなってしまって、そのまま退職したんです。
ーーその後は、派遣に登録されたとのことですね。
河瀬:そうです。辞めたら少しずつ元気になってきたので少し働こうかなと。でも、もう看護師はできないと思ったから、違う仕事を探せるハローワークに通いました。
そんなときふと「看護学生の頃にバイトでやった訪問入浴が楽しかったな…」と思い出しました。調べたら派遣でできるようだったので、派遣会社に登録したんです。
あんなに看護師を辞めたいと思っていたのに、やっぱり自分は患者さん対応が好きだったみたいで…。
ーー派遣として働き始めて、どうでしたか。
河瀬:一度辞めようと思った看護師へ復帰するには良かったというか、業務内容が介護に近いからリハビリのような気持ちで復職できたかな。
訪問入浴やデイサービスに単発で行ったのですが、毎日こういう仕事がありますよってメールをもらって、「じゃあ今回はこれをやってみようかな」と選ぶ感じでしたね。
ーー派遣はそのときの気分で選べる良さがある、確かに。そのあと熱海にはどういった流れで行かれたのですか?
河瀬:夫婦で海とイルカが好きで、「いつか海のそばに住みたいね」って話していたんです。そうしたら夫が熱海市に中古マンションを安く買ったので、週末移住を始めました。
ーー熱海での週末移住はどうでしたか?
河瀬:最初は仕事とのバランスが難しかったです。当時、私は都内の病院で働いていて、土曜日も仕事でした。外来が15〜16時に終わった後、熱海に移動すると疲れちゃって、もはや寝に行くようなものでした。それで今度は皮膚炎になったんです。
パート勤務に変えようかな…と悩んでいたタイミングで、大学病院時代から仲良くしてくれているプリセプターから電話がかかってきて。
近況報告をしたら「じゃあうちの病院に来なよ」と誘われて、日勤パートで週4日働かせてもらうことに。それからはストレスフリーで皮膚炎も落ち着いて、体内時計も狂わなくなりましたね。
熱海では海遊びをしている方がたくさんいて、「ビーチで遊ぼう!」「ビーチクリーン(清掃)をやろう」と誘ってくれる知り合いができて、プライベートも楽しめるようになりました。

ーー住む場所やお仕事を変えるって、なかなか難しいじゃないですか。河瀬さんが叶えられた理由は何でしょうか?
河瀬:10年前の熱海って今と違ってシャッター街で閑散としていたんですが、そこでまちづくりをしている人がいたんです。空き家をリノベーションしてカフェを経営していた方で、生活を変えることに踏み切れたのはその人の影響が大きかったです。
ほかにも、熱海の干物屋の5代目の若い人や移住して起業10年以上の人と知り合ったこともあり、夫が起業を考え始めて。
「坂と階段が多い熱海で、介護タクシーの仕事をしてみたいんだけど、どう思う?」と言われて、私も熱海が好きだったので「私は病院があればどこでも働けるからいいよ!行こう、行こう」みたいなノリで完全移住が決まりました。
ーー病院勤めのつもりで移住したけど、一緒にやることになったんですか?
河瀬:そうなんです。介護タクシーだけなら夫1人でできるんですが、訪問介護と介護タクシーを組み合わせて介護保険を使えるようにしないと熱海では利用してもらえない、と考えるようになって。それだと資格取得者が2.5人(3人)必要だったので、夫と私、もう1人興味を持ってくれた人の3人でやり始めました。
ーー介護保険を使えるようにしないと利用してもらえない、という点で選択が変わったのですね。
河瀬:はい。熱海の状況をお伝えすると…静岡県の中で生活保護率がナンバーワンで、人口は3万人強なのに、救急車の出動率が10万人の都市と同じ年間3,000件超すほどです。
街中に坂や階段が多いうえに、エレベーターがない家や外階段が90段ある家に住んでいて、降りれなくなった高齢者が多くて。病院に行くとなったらみんな救急車を呼んでしまうし、タクシーだと乗り降りが大変でお金もかかる…そうすると病院に行くのを我慢してまた救急車、みたいな負のサイクルがあったんです。
自分たちが訪問介護の事業を立ち上げて介護タクシーと絡めれば、患者さんの費用を安く抑えられて受診率が上がって、少しずつ元気になる、という考えでした。

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ーー病院や派遣で経験したことは今の仕事に活きていますか?
河瀬:そうですね。「◯◯がんだからこういう症状が出やすいかも」「◯◯の術後だからここが痛いかな」と観察できるのは今までの経験があるからです。
利用者さんが「デイサービスってどんなところだろう?」とか「訪問入浴ってどういう風に来るのかしら」とボソッとつぶやいたときも「訪問入浴はね、」ってお伝えできるんですよね。
ーー経験は繫がるんですね。これまで複数の働き方をされてきた河瀬さんに、理想の看護像を伺ってみたいです。
河瀬:ずっと変わらず理想としているのは、ナイチンゲールです。
看護学生のときは正直よくわからなかったナイチンゲールの「看護覚え書」。これを改めて読む機会があったのですが…パラパラとめくっていたら面白くて夢中になって、今やっている看護に通じているなと思ったんです。
ーー実践を積まれた方が、看護学校で一番最初に習うナイチンゲールに戻るのは興味深いですね。ちなみにどの部分でそう感じられたのですか?
河瀬:たとえば窓を開けて換気すること1つを取っても、何ページと書いてあるんです。そっか、換気ってこんなに大事なんだなと思ったり、温度調整、シーツの交換もそうですね。
あとは…学生時代の授業で教えていただいた言葉があります。
看護とは、手と目で護る(まもる)と書きます。患者とは、心に串が刺さっている者と書きます。温かい手で触れ、温かい目で見て、観察し、患者様の心の串をとってあげられる看護をしてください。
この言葉を聞いて衝撃を受けてから、ずっと大切にしていますね。
ーー河瀬さんは「看護」に長く向き合ってこられたのだなと感じます。一時は違う仕事も考えられたようですが、これからも看護師を続けたいと思いますか?
河瀬:そうですね。看護師であり続けたいです。
実はこの仕事で訪問介護に行くときに、「看護」をする機会はやっぱり少ないので
と葛藤した時期もありました。
でも10年間続けてきて、ケアマネさんや病院のソーシャルワーカーさんが「伊豆おはなには看護師さんがいるんだよ」と言ってくれるようになって、私を看護師として必要としてくれている人がいるんだから、私はこのままでいいんだと思うようになりましたね。
それに最近は、ドライバーではなく“看護師添乗”として乗ることも多くなったんです。入退院で酸素を流したり点滴を管理したりする搬送では、看護師が必要なためです。
本当に看護と介護を組み合わせているような感じで働いています。自分では「介護ナース」って呼んでいますけど。

ーーでは、今のお仕事はこれからも続けて行こうと思っていらっしゃいますか。
河瀬:そうですね。起業して10年経ったので、やっぱり体力は落ちて来ていますが、この仕事はできる限り続けたいです。
一方で後進を育てたい気持ちもあります。若い方にこういう仕事をどんどん選んでもらいたくて、発信も欠かせないなとnoteにエピソードを書き始めたんです。
開業当初に比べると、介護タクシーの仕事をやりたい方は増えていると聞きました。コロナ禍で救急車が呼んでも来ない状況に課題を感じたとか、先日の能登地震でのボランティア活動の様子を見たとかのきっかけがあったみたいですね。
ーー地震の話が出ましたが…熱海の土石流災害から3年経ちましたね。当時、河瀬さんも被災されたなか仕事をされたのですよね。
河瀬:そうですね。2021年7月3日でした。
土石流災害よりも前、2018年と2019年に大きい台風が熱海を直撃したことがあって、通行止めになったり、海沿いの老舗ホテルの窓ガラスが割れたり、断水が続いたりしたんです。そのときから私たちは災害を意識していて、会社でもICTを活用しようと整えていたんですよね。
ーー備えていたからこそ動けた、ということですね。
河瀬:そうです。被害は大きく、事務所から30m先のお家やうちの会社の車も1台流されたほどで…事務所にはしばらく戻れませんでした。
でも利用者さんのデータを紙に加えてパソコンの共有クラウドでも管理していたので、災害の後もスマホやiPadでなんとか仕事を受けられました。
災害を機に地域のコミュニティ力もかなり強くなりました。「おはようございます」「おかえりなさい」とか小さなことを今でも続けていて、ほどほどの距離感で気にかけ合っていますね。

ーーご自身の経験を踏まえて、いま働き方に悩んでいる方へ伝えたいことがあればお願いします。
河瀬:私自身も看護師を辞めようと思ったことがありますが、いろんなご縁があって今も続けています。
あまりにも辛い思いをしているなら、1回休憩すると良いと思います。その経験があれば、いつか近くに辞めたいと悩む人がいたときに話を聞いてあげられますし。
あとは考えすぎない、悩みすぎないことですね。これまで辛い出来事もあったけど、何十年も経つと忘れちゃうから大丈夫です。
逆に、仕事で誰かに厳しいことを言われてそのときは理解できなくても、何年か経って振り返ったときに、「あれは必要だったな」「あの指摘があったからこそ今の私がある」と思うこともありますよ。
河瀬さんが大好きな街「熱海」に移住され、看護師としての仕事を続けてらっしゃる姿は、参考にできる部分も大きかったのではないでしょうか。もし良かったら、下のコメント欄で感想やご意見をお待ちしています。
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2024年8月7日 13:59
熱海、海が近くで住みたいなと数年思っています。新幹線で東京もすぐですしいつか移住できれば。