奥さんは看護師
2021.4.6
新型コロナもワクチンの接種が始まりましたが、まだまだ慌ただしく忙しい看護師の皆様お疲れ様です。私も医療従事者の配偶者として陰ながら応援しております。
さて、今回は看護師の夫としての立場や見解というより、一人の親となり感じたことを綴っていくという余談メインの回になります。暇なときにでも読んでみてください。
もういつだったかどうかも定かではないくらい昔の話ですが、今でも内容を覚えている社説があります。「一生を終えてのちに残るのは」という記事で、当時めったに読まない社説がたまたま目に止まり読みました。全部覚えているわけではなく曖昧で恐縮ですが、概ねこんな内容だったと思います。
「小説の一節で『一生を終えてのちに残るものは、集めたものではなくて、与えたものだ』というのがあった。ピンと来なかったが母を亡くし、母の人生の意味を考えたときに、有形無形の施しや与えられたものが自分に残った気がした。そのとき、自分も人生の意味の一端を感じた」
この寄稿者と同様、私もこの社説を見たときはそこまでピンと来なかったのに加えて、ベクトルが違えば怖い話にもなり得るなと思った記憶がありますが、歳を重ね「ほしいもの」や「抑えられない好奇心」への期待や執着が薄れてくるにつけ、この社説を思い出すようになりました。
人への“与”というと、どこか胡散臭く、むず痒いなぁと個人的に思ってしまいますが、私の場合は身近に娘がいて、その子に与えたいか?というとちょっとニュアンスが違うかなと思ってます。
前にも「子供にどう育ってほしいかなんかない。ただ、失敗を恐れないでほしい」「そもそもどう育つか?はコントロールできない」とコラム内で書いたことありますが、与えたところで受け取る本人次第な部分は、自分もそうだったのでよく理解しているつもりです。
どちらかというと私が経験則として一番親に感謝しているのは、「応援してくれたこと」です。おそらく私も有形無形の「何か」を親や兄弟、友人等からもらっているはずですが、裏切らずに「居てくれたこと」自体が精神安定上よかったのかもしれない、と親になって思いました。
この、子供にとって究極的な「存在感」は、言ってしまえば一番難しい問題なのではないか?と最近思うわけです。子を想い、応援していくためには「余裕」が必要で、この「余裕」は複合的な要素が絡み合います。
余裕もなくなれば、夫婦同士でケンカし、戦い、気持ちもどんどん摩耗していくものです。「夫婦仲」「時間」「お金」…など考え出せばキリがないですが、子にとって安心な「両親」は予想以上に難しく、努力が必要なのだろうなどど最近よく考えています。
とはいえ、物欲も好奇心も薄くなった中年の私としては、この無理難題のプロセスを楽しむのも一興かなと思っているので、奥さんと共闘しながら娘がどう育っていくのかを見守っていきたいと思っています。
とりとめのない話になってしまいましたが、最近私が無駄に考えていることです。それではまた!
▼連載はバナーをTAP!【奥さんは看護師 バックナンバー】
vol.1 ~コロナウイルスの影響~
vol.2 ~同一労働同一賃金~
vol.3 ~失業時・育休時の給付制度~
vol.4 ~看護師業界のココを変えたい~
vol.5 ~看護師の夫としての心得~
vol.6 ~結婚相手に大切なこと~
vol.7 ~男の結婚へのマインド~
vol.8 ~我が家のお金の話~
vol.9 ~子育てのルール~
vol.10 ~看護師の家族としての心得~
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